「CDショップってなくなっちゃったね」
CDを開ける時の、あのパキッという感触。透明なケースが開く時の小さな抵抗感。中に入っている歌詞カードの紙の質感。そして何より、銀色に輝くディスクの美しさ。そういうものが、いつのまにか暮らしから抜け落ちていった。
スポティファイなんてなかった頃、音楽は形があった。重さがあった。歌詞カードには小さな文字がびっしり詰まっていて、それを膝の上に広げながら何度も聴いた。洋楽の意味がわからなくても、翻訳された言葉をなぞるうちに、ちょっとずつ自分の中の世界が広がっていく感じがした。
「このジャケット、かわいいな」
ジャケットの色や写真に惹かれて買ったCDもあった。部屋の壁に飾って、毎日眺めていた。近所のタワーレコードが閉店したとき、店内を歩き回った。棚と棚の間の空気を記憶に留めておくように。
だから、ブックオフで埋もれたCDを掘り出してきた。CDプレーヤーも見つけたんだ。今じゃなかなか売ってないけど、やっぱりCDはCDプレーヤーで聴きたい。それも今度紹介するね。
このページは、個人的な記憶を残すためのタイムカプセルのようなもの。輝いていた日々の記憶を、透明なケースに閉じ込めて残したくて。
もしよかったら、ゆっくり見ていってね。あなたの中にも、似たような思い出が眠っているなら、それはとても素敵なことだと思う。
思い出のアルバム

carlos aguirre grupo
白いクラフト紙が、まるで窓のように切り抜かれている。そこから覗く友人の手描きの絵。その繊細な仕事に、最初は気づかなかった。
カルロス・アギーレは言う。「私の仕事は"美しさ"を探究することなのです」。その言葉が、耳元でささやかれているみたいに感じた。
アルゼンチンのフォルクローレの音色が、部屋の空気をゆっくりと変えていく。まるで草原で横になって、空を見上げているような感覚。風が頬をなでる。雲がゆっくりと形を変える。そんな時間の流れ方を思い出させる。
このアルバムとの出会いは、偶然だった。ポール・オースターの小説みたいに、小さな偶然が積み重なって、大きな意味を持つようになる。そういう不思議な出会いって、音楽にだけあるんじゃないかな、と思う。カルロス・アギーレの音楽は、そんな偶然の美しさを教えてくれる。

GLENN GOULD
出会ったのは村上春樹の小説。硬い表紙をめくった瞬間、ページの間からグレン・グールドのバッハが流れ出した。
若かりし頃と晩年の演奏。朝の柔らかな光が窓辺から差し込むとき、どういうわけか若い頃の演奏に手が伸びる。迷いのない指先が鍵盤を叩く音が、透き通った空気を振るわせるように心に染み入ってくる。 一方、雨粒が窓ガラスを叩く夜。ポツポツから始まり、やがてざあざあと降り出す音に合わせるように、晩年の深みのある演奏が私を包み込む。時間の重みを背負った音色が、部屋の闇を優しく照らすよう。
このCDだけは特別で、仕事の合間に、本を読みながらというような「ながら聴き」はしない。少し重みのあるお気に入りのヘッドフォンを頭に乗せると、世界との繋がりが一本の細い糸になる気がする。目を閉じて耳だけの存在になる私。 音の粒子が皮膚を通過し、細胞の一つ一つに浸透していく。雨水が乾いた土の微細な隙間に吸い込まれていくような必然性をもって。